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東京地方裁判所八王子支部 昭和44年(ワ)84号 判決

原告

有竹利夫

被告

有限会社富田屋精肉店

主文

被告らは、原告に対し、連帯して金三〇四万二、四〇六円、および内金三九万九、〇〇〇円に対し昭和四四年二月七日から、残金二六四万三、四〇六円に対し昭和四六年六月六日から、各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを一〇分し、その三を原告の負担とし、その余を被告らの連帯負担とする。

本判決中原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

被告らは、原告に対し、連帯して金一、〇二六万〇三六〇円、および内金八四万円に対し昭和四四年二月七日から、残金九四二万〇三六〇円に対し昭和四六年六月六日から、各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言。

二  被告ら

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決。

第二請求原因

一  事故の発生

原告は、昭和四〇年九月四日午後三時頃、東京都府中市本町二丁目三番地先の東西に通ずる通称鎌倉街道(歩車道の区別なく幅員約七メートル)を北から南に向け横断歩行中、道路の中央部まで進んだとき、右道路を東から西に向け進行してきた訴外杉田正永の運転する被告有限会社富田屋精肉店(以下被告会社と称す)所有の原動機付第二種自転車(登録番号府中市第一四九八号―以下本件加害車と称す)に激突されて路上に転倒し、よつて左大腿骨々折、左下腿骨々折、頭部外傷顔面挫創の傷害を蒙つた(以下本件事故と称す)。

二  事故の態様

(一)  本件事故当時、その事故現場から東方約六五米の地点には鎌倉街道を南北に横切る日本国有鉄道南武線の踏切に遮断機が設置されており、本件事故発生の直前に右遮断機の降下により右踏切は閉鎖され、右踏切を挾んで鎌倉街道の東西両側付近では各車両が停車し通行が止つた。その際、本件事故現場の道路北側の菓子店の前にいた原告(当時三年一一ケ月)は、これを認めて、連れの従兄佐々木益美(当時一一年)、実兄有竹吉次(当時七年)に続き、同所から右道路の南側に渡るべく停車中の自動車の間を通り抜け道路の中央部まで進んだところ、折柄訴外杉田正永は本件加害車を運転し、右道路の東から本件事故現場に向け時速三〇キロメートル余の速度で道路の中央部沿に西進し原告を間近になつて発見し、慌てて急停車の措置をとつたが右のような高速度で走行したため間に合わず、本件加害車の前部を原告に激突させたのである。

(二)  このような場合、訴外杉田正永としては、踏切の遮断機が降下して各車両が停車しており付近には横断歩道もないのであるから停車中の車両の間を通つて右道路を横断する者のあることは当然予想されるところであり、現に右のように本件事故現場を原告ら児童が歩行横断しつつあつたのであるから、特に前方を注視しできる限り道路の南側部分を進行し、かつ何時でも停止し得るよう徐行するなど事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのに、これを怠つた過失により本件事故を惹起したのである。

三  被告らの責任

被告会社は、精肉などの販売を業とする有限会社であり、訴外杉田正永は、右会社の店員として勤務していたものであるが、本件事故は、被用者たる右訴外人が被告会社所有の本件加害車を運転して被告会社の業務に従事していた時に惹起したものであるから、被告会社は民法第七一五条第一項により使用者として、被告長田数一は被告会社の代表取締役で、右訴外人の使用者たる被告会社に代りその事業を監督する者であるから同条第二項により代理監督者として、それぞれ原告に対し、連帯して後記損害を賠償すべき義務がある。

四  原告の損害

(一)  原告の入院中の付添看護料 七万円

原告は、本件事故による受傷のため次のとおり入院し、通院して治療を受けた。

(1) 府中医王病院(東京都府中市晴見町一の二〇)

第一回入院―昭和四〇年九月四日から同月二七日まで二四日間

第二回入院―同年一〇月一四日から同月一八日まで五日間

通院―同年一〇月一九日から同年一二月一五日まで五八日間

(2) 奥島病院(同郡同市美好町一の二二)

通院―昭和四一年二月一一日から同年七月一四日まで一五四日間

(3) 金井整形外科(同郡台東区池ノ端一の四の二九)通院―昭和四二年八月二八日 一日間

(4) 武蔵野赤十字病院(同都武蔵野市境)

通院―昭和四二年九月四日 一日間

(5) 松尾医院(同都府中市宮町三の二)

通院―昭和四二年一二月一五日から昭和四三年一月一七日まで三四日間

(6) 九段坂病院(同都千代田区九段南二の一の三九)

入院―昭和四三年四月四日から同月二三日まで二〇日間

(7) 東京大学医学部附属病院(同都文京区本郷七の三の一)

入院―昭和四二年一〇月二六日から同年一一月一五日まで二一日間

通院―昭和四二年九月五日から同年一〇月二五日まで、および同年一一月一六日から昭和四四年一月一四日まで四七六日間

以上(1)ないし(7)を合算すると、入院治療期間は七〇日間となり、通院治療期間は七二四日間(約二四ケ月)となるが、原告の母有竹チイ子は、原告が幼児であるため右入院期間中病院で原告に付添つて看護をなしたものである。よつて、原告は、右付添看護料を一日一、〇〇〇円として七〇日分七万円の損害を受けた。

(二)  昭和四六年三月一五日から昭和四七年一〇月一九日までの間の治療費など 一五万三、一八四円

(1) 原告は、東京大学医学部附属病院に昭和四六年三月一八日から同月二九日まで一二日間、および昭和四七年三月九日から同月一五日まで七日間合計一九日間入院して右傷害の治療を受け、そのため次のとおりの損害を受けた。

(イ) 診療費 四万六、七二九円

(ロ) 入院雑費 一日二〇〇円の割合による一九日分 三、八〇〇円

(ハ) 近親者の付添看護料 一日一、〇〇〇円の割合による一九日分 一万九、〇〇〇円

(2) 原告は、右附属病院へ昭和四六年三月一五日から昭和四七年一〇月一九日まで一九ケ月間(実日数一九日)通院して右傷害の治療を受け、そのため支出した治療費 一万二、一五五円

(3) 原告が、以上(1)、(2)の入院二回、通院一九回計二一回分の自宅と右附属病院との間の交通費として一回往復五〇〇円の割合により支出した金額 一万〇、五〇〇円

(4) 原告が、昭和四六年五月一四日から同年六月二二日までの間一六回、同年六月二三日から同年八月三一日までの間二四回、計四〇回自宅でマツサージによる右傷害の治療を受けたため支出した治療費 六万一、〇〇〇円

(三)  後遺障害となつた以後の得べかりし利益の喪失による損害 六三五万五、八九三円

原告は、本件事故による傷害につき、昭和四六年五月末頃医師により、左外反膝(外傷後遺症)として自動車損害賠償保障法施行令別表所定の後遺障害である第八級第五号の一下肢を五センチメートル以上短縮したものに該当する後遺症が存在し、その改善の見込はないと診断された。そしてその労働能力喪失率は、労働基準法施行規則別表第二身体傷害等級表および労働省労働基準局長通達(昭和三二年七月二日基発第五五一号)別表労働能力喪失率表により四五%と認められるところ、原告は、昭和三六年一〇月一三日生れで右診断当時満九才七ケ月で、厚生省が昭和四四年四月発表した第一二回生命表によると満九才の男子の平均余命年数は六〇・七六年であるから、本件事故による傷害がなかつたとすれば、満二〇才(原告の昭和四六年六月二日付訴変更申立書中、請求原因の追加の項に満二一才と記載されているのは満二〇才の誤記と認める)から満六〇才まで四〇年間就職稼働し、一ケ年につき、少なくとも労働省労働統計調査部賃金構造基本統計調査昭和四四年第一巻第一表による全産業労働者の平均賃金(従業員一〇人以上の企業)年収額八六万一、六〇〇円の収入を得べきところ、右四五%の労働能力を喪失したのであるから右金額の四五%に当る三八万七、七二〇円の収入を毎年喪失することになる。しかして、原告は、右金額に対し、原告の満一〇才から稼働年限満六〇才までの五一年間のホフマン式年毎複式計算方法による民事法定利率年五分の中間利息を控除する係数二四・九八三から、原告の稼働開始前である満一〇才から満二〇才までの一一年間の右同様のホフマン計算方式による係数八・五九〇を控除した残係数一六・三九三を乗じて得た六三五万五、八九三円の損害を蒙つたと言うべきである。

(四)  慰藉料 三〇八万一、二八二円

(1) 原告は、本件事故により受傷し、別記(一)記載の如く入院および通院をして治療を受けたかその精神的苦痛を償うには慰藉料七七万円が相当である。

(2) さらに、原告は、前記(二)のとおりの入院などにより治療を受けたが、治癒せず、今後原告の膝外反と脚長差は確実に増大し骨成長率より考えて約一年後に左大腿骨内反骨切り術と脚延長術を行い、さらに骨成長の止まると予想される一六才ないし一八才頃に同様の手術を行う必要があると診断されており、右により原告の蒙つた精神的苦痛は甚大であり、その慰藉料としては少くとも七〇万円を相当とするところ、本訴においてはその内金六三万一、二八三円を請求する。

(3) 原告は、本件事故による傷害について、前記(三)のとおりの後遺障害が残り、終生改善の見込もないのであつて、その精神的苦痛は甚大である。自動車損害賠償保険法施行令別表所定の後遺障害である八級五号の一下肢を五センチメートル以上短縮したものについて定めた保険金額が一六八万円と定められている点に鑑み後遺障害に対する慰藉料としては一六八万円を請求する。

(五)  弁護士費用 六〇万円

原告は、東京弁護士会所属の弁護士井上開了に対し本件訴訟の遂行を委任したものであるが、その報酬は東京弁護士会所定の弁護士報酬規定を参酌し六〇万円をもつて相当とし、これも本件事故により原告の蒙つた損害である。

五  結論

よつて、被告らは、原告に対し連帯して一、〇二六万〇三六〇円、および内金である前項(一)および(四)の(1)の合計八四万に対し右損害発生後たる昭和四四年二月七日から、残金九四二万〇三六〇円に対し右損害発生後たる昭和四六年六月六日から、各完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

第三請求原因に対する被告らの答弁

一  請求原因第一項中、原告の受けた傷害の内容は不知、その余は認める。

二  同第二項の(一)中、遮断機が降下して踏切が閉鎖され、車両が停車していたこと、および訴外杉田正永が本件加害車を運転して時速三〇キロメートル余で道路の中央部を走行していたことは否認し、その余の事実は認める。

三  同第三項中、被告会社が原告主張のような会社であることは認め、その余の事実は否認する。

(一)  同第四項の(一)中、原告がその主張の病院などに入院あるいは通院して治療を受けたことは不知、付添看護料の損害は否認する。

(二)  同項の(二)は否認する。

(三)  同項の(三)中、原告に一下肢を五センチメートル以上短縮した後遺障害が存在することは否認する。

(四)  同項の(四)、(五)は否認する。

五  同第五項は否認する。

第四被告らの抗弁

一  本件事故は、昭和四〇年九月四日午後三時頃発生したものであるが、原告は、本件事故後請求原因第四項(一)の(1)記載のとおり府中医王病院にて入院および通院して治療したと述べている。

二  ところで、原告の本件事故による傷害は、右の入院および通院による治療によりほゞ全治していたものであるが、その後、原告は、外で遊んでいるとき、高所から地上に飛び降りたか、あるいは転落したことがあり、このときの衝撃によつて、未だ完全には治癒していなかつた左大腿骨と左下腿骨の本件事故による骨折個所に再度骨折を惹起し、右再度の骨折の治療のため、その後の長期に亘る入院および通院を継続しているのである。また、原告の主張するような後遺障害があるとしても、これは右再度の骨折に起因するものである。

従つて、右再度骨折後の治療費その他の損害は本件事故とは因果関係がない。

三  本件事故は原告の一方的過失により発生したものであるから、被告らには全く責任はない。すなわち、本件事故は、原告が反対側車線に連続停止していた車両の蔭から、いきなり制限速度(三〇キロメートル)を遵守して進行していた訴外杉田正永運転の車両の直前に「とび出した」ため、急ブレーキをかけたが間に合わず、原告に右車両の前部を衝突させたことにより発生したものである、そして右のとおり原告の「とび出し」のため、訴外杉田は右衝突の瞬間まで原告を発見することができず、また、本件具体的状況のもとではその予見可能性もなかつたのであつて、訴外杉田としては、事故回避のための何らかの措置をとるすべもなかつたのである。したがつて、本件事故はすべて原告の過失により発生したものであつて、被告らには何らの責任もないといわなければならない。

第五抗弁に対する認否

抗弁第一項は認め、同第二、三項は否認する。

第六証拠〔略〕

理由

一  事故の発生

原告が、昭和四〇年九月四日午後三時頃、東京都府中市本町二丁目三番地先の東西に通ずる通称鎌倉街道(歩車道の区別なく幅員約七メートル)を北から南に向け横断歩行中、道路の中央部まで進んだとき、右道路を東から西に向け進行してきた訴外杉田正永の運転する被告会社所有の原動機付第二種自転車(本件加害車)に激突されて路上に転倒したことは当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によれば、原告は、本件事故により左大腿骨々折、左下腿骨々折、頭部外傷、顔面挫創の傷害を負つたことが認められる。

二  事故の態様

本件事故当時、その事故現場から東方約六五メートルの地点には鎌倉街道を南北に横切る日本国有鉄道南武線の踏切に遮断機が設置されていること、本件事故現場の道路北側の菓子店の前にいた原告(当時三年一一ケ月)は、連れの従兄佐々木益美(当時一一年)、実兄有竹吉次(当時七年)に続き同所から右道路の南側に渡るべく道路の中央部まで進んだところ、折柄訴外杉田正永は、本件加害車を運転して西進し原告を間近になつて発見し、慌てて急停車の措置をとつたが間に合わず本件加害車の前部を原告に激突させたことは当事者間に争いがない。

〔証拠略〕を総合すると、本件事故当時、右踏切は遮断機の降下により閉鎖され、右踏切の西側の鎌倉街道には東行の車両が停車し右菓子店付近まで続いていたこと、原告は、その兄有竹吉次が先に道路を横断し原告に横断するよう合図したので連続して停車していた自動車の最後尾を通つて道路を走つて横断しつつあつたこと、他方訴外杉田正永は、本件加害車を運転し、右道路の東方から本件事故現場に向け時速約三〇キロメートルの速度で道路の端から約三・一メートルの地点を西進していたのであるが、連続して停車中の自動車の後から走つて出て来た原告を前方約四・二メートルの地点に発見し、慌てて急制動の措置をとつたが間に合わず本件事故を惹起したものと認められる。

右の争いのない事実および右認定事実に照らすと、訴外杉田正永は、自動車の運転者として、踏切の遮断機が降下して対向車両が右菓子店の前あたりまで連続して停車して並んだ状態になつているのであるから、停車中の車両の間あるいはその後を通つて道路を横断する者のあることは予想されるところであるから、前方を注視すると共に、何時でも停止し得るよう徐行して事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのに、これを怠り、前記速度のまゝで走つた過失により本件事故を惹起したものと言うことができる。

三  被告らの責任

被告会社が精肉などの販売を業とする有限会社であることは当事者間に争いない。

〔証拠略〕を総合すると、訴外杉田正永は、被告会社の店員として勤務していたものであるが、本件事故は、右訴外人が被告会社所有の本件加害車を運転してシユウマイを注文先に配達するという業務に従事していた時に前項の過失により惹起したものであること、被告長田数一は被告会社の代表取締役であつて同会社の事業全般を監督していたものであることが認められる。

してみると、被告会社は、民法第七一五条第一項により、被告長田数一は、右訴外人の使用者たる被告会社に代りその事業を監督する者であると解されるから同条第二項により代理監督者として、それぞれ、原告に対し連帯して後記損害を支払う義務がある。

四  過失相殺

理由第一、二項記載の事実、および〔証拠略〕を総合すると、原告は本件事故当日、事故現場の道路北側の恩田菓子店に実兄有竹吉次らとアイスクリームを買いに行つた帰途本件事故に遭遇したこと、原告の母たる有竹チイ子は、手洗に入つていて、原告が実兄らと共に本件事故現場の方に出かけたことは知らなかつたが、原告に対しては、事前に、幼少であるから実兄らと道路に出ては危険でありいつしよに出かけてはならない旨注意をしていたこと、右有竹チイ子が手洗に入つた当時、同人宅には、同人の姉および父が在宅していたが、同人は原告の監督方を手洗に入る前に姉らに依頼しなかつたこと、本件事故現場付近は、自動車の交通量が多いうえ、原告宅とはたいして離れていないことが認められる。

このような交通頻繁な道路の付近に居住するものである原告の父母有竹市郎及び有竹チイ子は、その親権者の監護義務として、本件事故当時三才一一ケ月であつた原告が適当な保護者の付添いがないときは外出しないようにその動静に注意すべきであつたのに、本件においては原告の母有竹チイ子は原告に口頭で外出しないよう注意はしたものの、同人の動静に注意することなく、また当時在宅していた家人にその監督方を依頼することもなく、それ以上の措置をとることもなく手洗に入つてしまつたもので、原告の母有竹チイ子は原告の親権者としての監護義務を怠つたものと言うべく、また原告の父有竹市郎も幼児の父として負うべき前述の監護義務を尽したことについて何らの立証もないうえに、前記認定の事実に照らすと、右義務を怠つていたことが推認できるから、右両名とも本件事故の発生に対して監護義務者として過失の責を免れない。

さらに、原告は、実兄有竹吉次の合図に従つて道路を横断し始めたのであるが、実兄有竹吉次が右合図の前に道路の左右を見て安全を確認したか否かの点については、同人の左右を確認したとの証言が存するが、右証言は本件事故の発生および訴外杉田正永の証言に照らし採用しがたく、結局実兄有竹吉次は右確認を怠つたものと言うべきであり、かつ、同人は本件事故当時七才であつて、安全確認について事理弁識能力はあつたものと認められるから同人の過失も原告側の過失として斟酌することとする。

以上によれば、原告の父母有竹市郎、有竹チイ子および実兄有竹吉次の過失を原告側の過失として斟酌すると、原告側の過失は三〇%と認めるのが相当である。

五  原告の損害

(一)  原告の入院中の付添看護料 七万円

〔証拠略〕を総合すると、原告は本件事故による傷害のため

次のとおり入院および通院をして治療を受け、原告の母有竹チイ子は看護婦の指示や原告が幼少であつたことから原告の入院期間中病院で原告に付添つて看護にあたつたことが認められる。

(1)  府中医王病院(東京都府中市晴見町一の二〇)

第一回入院―昭和四〇年九月四日から同月二七日まで二四日間

第二回入院―同年一〇月一四日から同月一八日まで五日間

通院―同年一〇月一九日から同年一二月一五日まで五八日間(診療実日数三七日)

(2)  奥島病院(同都同市美好町一の二二)

通院―昭和四一年二月一一日から同年七月一四日まで一五四日間

(3)  金井整形外科(同都台東区池ノ端一の四の二九)

通院―昭和四二年八月二八日 一日間

(4)  武蔵野赤十字病院(同都武蔵野市)

通院―昭和四二年九月四日 一日間

(5)  松尾医院(同都府中市宮町三の二)

通院―昭和四二年一二月一五日から昭和四三年一月一七日まで(マッサージのため)三四日間

(6)  九段坂病院(同都千代田区九段南二の一の三九)

入院―昭和四三年四月四日から同月二三日まで二〇日間

(7)  東京大学医学部附属病院(同都文京区本郷七の三の一)

入院―昭和四二年一〇月二六日から同年一一月一五日まで二一日間

通院―昭和四二年九月五日から同年一〇月二五日まで、および同年一一月一六日から昭和四四年一月一四日まで四七六日間

以上によると入院期間は七〇日間となり、〔証拠略〕によれば入院当時の職業付添料は一日約二、〇〇〇円であると認められるから、その半額一、〇〇〇円を損害額とする原告の主張は相当と言うべきである。よつて、原告は付添看護料相当額として右一、〇〇〇円の七〇日分合計七万円の損害を蒙つたものである。

(二)  昭和四六年三月一五日から昭和四七年一〇月一九日までの間の治療費など 一五万四、二三四円

(1)  〔証拠略〕を総合すると、原告は、東京大学医学部附属病院に昭和四六年三月一八日から同月二九日まで一二日間、および昭和四七年三月九日から同月一五日まで七日間合計一九日間入院して治療を受け、

(イ) その治療費として 合計 四万六、七二九円

(ロ) 入院雑費として一日二〇〇円の割合による一九日分 三、八〇〇円

(ハ) 右入院期間中原告の母有竹チイ子が付添看護をしたことによる損害として一日一、〇〇〇円の割合による一九日分 一万九、〇〇〇円

の各損害を蒙つたものと認めるのが相当である。

(2)  〔証拠略〕を総合すると、原告は、東京大学医学部附属病院へ昭和四六年三月一五日から昭和四七年一〇月一九日まで通院(実日数一九日)して治療を受け、そのため治療費として一万二、一五五円支払つたことが認められ、右も原告が本件事故により蒙つた損害と言うべきである。

(3)  〔証拠略〕によると、原告は、右(1)、(2)の入院二回、通院一九回合計二一回分の自宅と右附属病院との間の交通費(電車およびバス代)として一回往復五五〇円の割合により支出した一万一、五五〇円の損害を蒙つたものと認められる。

(4)  〔証拠略〕を総合すると、原告は、昭和四六年五月一四日から同年六月二二日までの間一六回、同年六月二三日から同年八月三一日までの間二四回、計四〇回に亘りしんげつ病院(東京都府中市西府町一の三〇の六)のマツサージ師により自宅において右傷害の治療のためマツサージを受け、そのため六万一、〇〇〇円を支出したことが認められ、右も原告が本件事故によつて蒙つた損害であると言うことができる。

(三)  後遺障害となつた以後の得べかりし利益の喪失による損害 一九八万三、四九〇円

〔証拠略〕を総合すると、原告は、現在本件事故による傷害の結果、外傷性左外反膝、左下肢短縮の後遺症を有し、左下肢短縮の程度は健側である右下肢に比べ五センチメートルの短縮であり、その短縮の原因は、左大腿骨遼位骨端発育線の早期閉鎖にあり、将来治癒の可能性はない。しかも、右大腿骨の骨端発育線は正常であるため、今後正常の発育をするのに比し、左大腿骨は骨端発育線の早期閉鎖のため、今後の長径発育は障害されるため、将来の大腿骨長差はさらに増大する。また、左大腿骨発育線の障害は内側に比し外側の障害程度が大であつたため身体の発育に伴い左膝外反を来たし、二五度の角度に曲ると歩行が困難になるため成長の止まる一八才頃になるまではその曲るのを止めるため毎年手術をしなければならない状態であることが認められる。

そうすると、原告の本件事故による後遺症の程度は、自動車損害賠償保障法施行令第二条の別表の後遺障害等級にあてはめると、同表の障害等級第八級五号に該当し、右障害等級第八級は、労働省労働基準局長通牒(昭和三二年七月三日基発第五五一号)に定める労働能力喪失率四五%に該当する。

原告は、理由第二項記載のとおり本件事故当時三才一一ケ月であつたから、厚生省作成の第一一回生命表によると満三才の男子平均余命は六五・〇〇年であり、本件事故による傷害がなければ、満二〇才から満六〇才まで就業稼働し、一ケ年につき少くとも労働省労働統計調査部編「賃金センサス」昭和四〇年第一巻記載の全国性別、年令別平均賃金表の二〇ないし二四才の年間平均賃金三〇万三、六〇〇円(一ケ月平均二万五、三〇〇円)の収入を得べきところ、右四五%の労働能力を喪失したのであるから右金額の四五%に当る一三万六、六二〇円の収入を毎年喪失することになる。

そこで、右各年間の喪失額を本件事故当日現在の価額に計算するため、中間利息を民事法定利率である年五分の割合によりホフマン式計算法年毎式に従い(年別民事法定利率による単利年金現価総額表使用)控除し同日における原告の得べかりし利益の喪失額を計算すると一九八万三、四九〇円となる(円未満切捨)

計算式 136,620×(26.5952-12.0769)=1,9834,490

(なお、原告は、九才の時を基準にして右逸失利益の損害を主張しているが、右損害は本件事故時に発生したものであるから、損害発生時を基準にして現価に換算した。)

(四)  慰藉料 一七一万円

(1)  原告は、理由第五項の(一)に認定のとおり入院および通院をして右傷害の治療を受けたものであるが、その間の原告についての慰藉料は五〇万円と認めるのを相当とする。

(2)  さらに、原告は理由第五項の(二)に認定のとおり右傷害の治療のために入院などをしたが治癒せず、同(三)認定の如く今後成長の止まるまで左外反膝を毎年手術してその悪化を防止する必要があり、〔証拠略〕によれば、医師から右の旨の診断を受けていることが認められ、右によつて原告の蒙つた精神的苦痛を償うには慰藉料として二〇万円と認めるのが相当である。

(3)  原告は、理由第五項の(三)に認定のとおりの後遺症を有し、右は本件事故によるものと認められるのであるから、右後遺症についての慰藉料としては一〇一万円と認めるのが相当である。

(五)  以上の原告の損害額を合計すると三九一万七、七二四円となるところ、原告側には前記のとおり三〇%の過失があるのだからこれを過失相殺すると、原告の以上の損害中、理由第五項の(一)および(四)の(1)の合計は三九万九、〇〇〇円、同(二)、(三)および(四)の(2)、(3)の合計は二三四万三、四〇六円(円未満切捨)となり、総合計は二七四万二、四〇六円である。

(六)  弁護士費用 三〇万円

〔証拠略〕により、原告が東京弁護士会所属の弁護士井上開了に対し本件訴訟の遂行を委任したことは明らかであるところ、本件訴訟の経過、認容額などに鑑み、原告請求額のうち三〇万円を弁護士費用として本件事故と因果関係のある損害と認める。

六  被告らの因果関係中断の抗弁について

被告ら主張の、原告が外で遊んでいるとき高所から飛び降りたか、あるいは墜落したため本件事故による骨折個所を再度骨折したとの点については、本件全証拠によるもこれを認めることはできない。

よつて、被告らの右主張は理由がなく採用できない。

七  結論

よつて、被告らは、原告に対し、連帯して三〇四万二、四〇六円、およびその内金(理由第五項の(一)および(四)の(1)の合計額)三九万九、〇〇〇円に対し右損害発生後たる昭和四四年二月七日から、残金二六四万三、四〇六円に対し右損害発生後たる昭和四六年六月六日から、各完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払わなければならず、右の限度において原告の本訴請求は理由があり、その余の請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担については、民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条第一項本文を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 西岡徳寿 見満正治 北野俊光)

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